2025年6月11日午後1時放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、80歳の名女優・鰐淵晴子(わにぶち はるこ)さんが登場します。
戦後の映画黄金期を彩った名女優であり、同時に歌手やヴァイオリニストとしても知られる彼女。その魅力は年齢を重ねてもなお輝き続け、多くの人々の関心を集めています。
今回は、そんな鰐淵晴子さんの「夫の職業」「山梨への移住理由」「娘の現在」「父親を中心とした家系の凄さ」について詳しくご紹介します。
鰐淵晴子の夫の職業は?波乱の私生活と華麗なる恋愛遍歴
鰐淵晴子さんは、これまでに2度の結婚歴があります。
まず最初の夫は、あの有名な服部時計店(現・セイコーホールディングス)創業家の御曹司・服部歊(はっとり こう)氏です。
服部歊氏とは?
服部氏は日本の時計産業をリードしてきた名門・服部家の一員。
いわゆる“超”がつくほどの資産家で、鰐淵さんとは1968年に結婚しましたが、わずか1年後の1969年には離婚しています。
結婚期間が短かったため、夫婦関係や詳しい職業活動はあまり表に出ていませんが、ビジネスマンとして財界に顔が利く人物だったとされています。
その後、鰐淵さんは1972年に再婚。2人目の夫となったのが、アメリカの写真家タッド若松(Tad Wakamatsu)氏です。
タッド若松氏の職業と活動
タッド若松氏はロサンゼルスを拠点に活動していたアート系の写真家で、1970年代には前衛的かつ芸術性の高いヌード写真を撮影することで知られていました。
彼が撮影した写真集『Ipy Girl Ipy(イッピー・ガール・イッピー)』は、鰐淵晴子さんをモデルにしたもので、当時の日本では異色の作品として話題を呼びました。この写真集は単なるエロティシズムではなく、女性の美しさと生命力をアートとして切り取った作品として、今でも評価されています。
2人は1972年に結婚し、1986年に離婚。結婚生活は約14年間続き、1人娘である鰐淵理沙(りさ)さんをもうけました。
なぜ山梨に移住?都会を離れた理由とは?
鰐淵晴子さんは晩年、東京都内から山梨県に移住しています。この選択にはいくつかの理由があるとされています。
自然との共生を求めて
まず一つ目の理由として挙げられるのが、「自然に囲まれた静かな環境で暮らしたい」という思い。鰐淵さんは若い頃から芸術活動に没頭してきた人物で、自然の中での生活が創作意欲を刺激すると語っていたことがあります。
また、山梨県は東京からも比較的アクセスがよく、ほどよく田舎で自然が豊かな環境。芸能活動から少し距離を置いたセカンドライフを過ごすには最適の場所と考えられます。
健康と心の平穏を求めて
80歳という年齢もあり、健康的なライフスタイルを重視しているという側面もあるでしょう。都会の喧騒を離れ、穏やかな自然の中で心身ともにリラックスできる生活を送りたい、という思いが山梨移住の背景にはあると考えられます。
鰐淵理沙とは?母のDNAを受け継ぐ芸術家
鰐淵晴子さんの娘・鰐淵理沙(わにぶち りさ)さんも、母の芸術的DNAを色濃く受け継いでいます。理沙さんはヴァイオリニストとして活動しており、数々のコンサートや音楽イベントに出演。
母・晴子さんが3歳からバイオリンの英才教育を受けた「天才少女」だったように、理沙さんも幼少期から音楽に触れ、高い演奏技術を身につけていきました。
現在ではクラシック音楽の分野だけでなく、ポップスや映画音楽など幅広いジャンルでも活動しており、テレビやラジオに出演することもあります。まさに“芸術一家”の象徴とも言える存在です。
父・鰐淵賢舟の凄すぎる経歴とは?
鰐淵晴子さんの父親である鰐淵賢舟(けんしゅう)氏は、新潟県長岡市出身の名ヴァイオリニスト。大正~昭和初期にかけて、国内外で演奏活動を行い、日本の音楽教育にも多大な貢献をした人物です。
さらに驚くべきことに、母親はオーストリア人のベルタさんで、なんとハプスブルク家の末裔という説もあります。
つまり鰐淵晴子さんは、「日本の名門ヴァイオリニストの父」と「ヨーロッパ名門貴族の血を引く母」を持つ、まさに由緒ある“ハイブリッド”な存在なのです。音楽に対する感性や美意識の高さは、まさにこの家系から来ているのでしょう。
映画女優としての輝きと『徹子の部屋』出演の意義
1952年に映画『母子鶴』でデビュー後、鰐淵晴子さんは数多くの作品に出演し、1955年の映画『ノンちゃん雲に乗る』では主演を務め、一躍スターダムにのし上がりました。
60年代には松竹の看板女優として映画界をけん引し、女優としての評価はますます高まります。その美貌と存在感から「原節子の再来」とまで評されたほどです。
1995年には『眠れる美女』などの作品で毎日映画コンクール 女優助演賞を受賞。80歳となった今もなお、現役で芸能活動を続けているのは驚異的です。
6月11日放送の『徹子の部屋』では、そんな鰐淵さんの女優人生やプライベートについて語られる予定。彼女の波乱万丈な人生や、家族との絆、老後の過ごし方など、今の時代に通じる“生き方のヒント”が語られるのではないかと期待されています。
まとめ
鰐淵晴子さんは、美貌・才能・家系すべてが「特別」な女優であり、ヴァイオリニストとしての顔も持ち、母としても娘にしっかりと芸術のバトンを繋いできました。
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最初の夫は服部時計店の御曹司・服部歊氏
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二度目の夫はアート写真家・タッド若松氏
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山梨への移住は自然と健康を求めて
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娘・鰐淵理沙さんも才能あるヴァイオリニスト
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父・鰐淵賢舟氏は音楽界の重鎮、母はハプスブルク家の末裔
そんな彼女が語る「今」が、『徹子の部屋』で明かされる――80歳となった今なお輝き続ける“最後の銀幕スター”鰐淵晴子さんの人生から、目が離せません
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